児童虐待のニュース。そういえばぼくも子供の頃、体罰を受けていた。

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親からの体罰

児童虐待が連日ニュースなどで取り上げられ、体罰を法律で禁止しようとしている動きになっているけれど、

そういえばぼくも幼少期の頃を思い出してみると、親、特に母親から虐待を受けてきたんだよなぁ、と思った。体罰もそうだし、言葉の暴力もそうだし。

当時の社会背景から言ってしまうと、それは虐待とはとらえられなかったのだけれど、今の時世から見るとあの行為は完全に虐待だったのだな、と思う。

幼少期、言うことを聞かなかったりすると、母からはよく『往復ビンタ』と称して玄関前(靴を履いたり脱いだりするところ)に連れていかれて両方の頬を叩かれたし、更には夜中に外に出されて鍵を閉められ、家に入れてもらえないということもよくあった(幼稚園生とかそれくらいの年齢の頃)。

そのたびに、ぼくはドアを閉められた玄関前(玄関ポーチ)で胃の中のものを吐いていた。

叱られて泣き過ぎて、よく吐いていたのだ。

吐くまで叱られる。これはしつけなどではなく、完全に虐待に入るアウトな行為だろう。まして一度や二度のことではなかった。

しかも、吐いても放っておかれるのだ。心配されることなど一切なかった。

そして母の機嫌が落ち着いて家に入れられる際に、母はその吐いたものを淡々とバケツに汲んだ水で流す、ということを行っていた。

そういえば、ニュースでは冷水を浴びせて娘を死なせてしまったとあったが、ぼくも(弟と一緒に)母からシャワーで冷水を浴びせられたことがある。大泣きし、しかもその後、外に放り出された記憶がある。

そういうしつけ(体罰)を母から受けてきた。

母はとにかくイライラしやすい性格だった。一番そのイライラをぶつけてきたのがぼくに対してだったろう。ぼくのことを疎んでいたと言ってもいい。

母と兄弟一緒に出掛けた時も「近づくな」とぼくだけに言ってきたことがあるし。疎まれたシーン・言葉はこれだけ歳月が経っても、ぼくの記憶に鮮明に刻印されている。

二十歳を超えたあたりに母と話した時は一番手のかからなかった子、と言っていたが(弟は生まれて間もなく大きな病気をして、それもあってかなり寛容に甘やかされて育てられた)。

ぼくはそういう育てられ方もあって、小さい頃から親からは愛されていないといつも思っていたし、誰に対しても卑屈になっていたし、母に対して嫌気のようなものをどこかで持って過ごしていた。いつもこの家族から逃れたいという気持ちを持って過ごしていた。

こういう育て方が尾を引いて対人恐怖症・女性恐怖症になったと言ってもいい。

大人になっても誰からも愛されていないと感じてしまうようになってしまっているのも、この幼少期の母から受けた体罰や愛されていないという思いがそのまま尾を引いてしまっているのだと思う。

そして、のちのちうつ病へともつながっていく。

児童虐待・体罰を取り扱っていたニュースのコメンテーターが言っていたけれど、体罰はしつけなどでは絶対になく、ただの暴力であり、親がストレスをそのまま子供にぶつけている、親として失格の行為だと言っていた。

体罰は教育上マイナスしか生まない。暴力で子供を自分の言いなりにしようとする行為でしかないのだ。

実際、ぼくも体罰をしてきた母に対しては恐怖心しか感じなかった。それでしつけられたかというとまったくない。

ぼくが大人になって、うつ病を打ち明けた時も、父も母も当時の体罰はしつけだった・しょうがなかったなどと自分たちの行為を正当化して言い訳をしたけれど、あれはしつけではない、ただの暴力行為だった。

体罰を受けると問題行為に走ってしまう

親から体罰を受けた子は問題行動が多くなると聞くが、確かに、ぼくと弟も小学生4年生くらいの頃、親の財布からお金を盗むことがよくあった。

悪いと感じていても盗んでしまうのだ。

あれも親から愛されていないというストレスからきていたのだと思う。あの当時は加えて両親が離婚するしないでかなり険悪になっていた時期でもあった。ケンカしている声を聞くだけでもびくびくしていた思い出がある。

また父親からはお金がないないととにかく抑圧された育て方をされていたのも良くなかったのだと思う。なにしろ、金銭感覚が同級生たちよりも一桁も下だったのだ。お小遣いというものももらっていなかった。

お金を盗む行為は、両親からは、ぼくたちの性格に問題があるように思わされてきて、特にぼくは責められたけれど、体罰を受けることによるマイナス効果の話を聞くと、完全にあれは親の教育の仕方が悪かったのだなと思った。

親の財布からお金を盗む行為は一年程度でやめることができた。ぼくは塾に通わされるようになって、毎月しっかり1000円程度のお小遣いをもらうようになったからだと思う。

親の財布からお金を盗むことは悪いことではあったけれど、大人になってからお金を盗むようになるよりもはるかに良かったかなと、大人になって振り返ってみると思った。罪悪感を抱えながらやってしまうのはかなり苦しい行為だからだ。

民法第822の懲戒権

ニュースのコメンテーターが言っていたけれど、児童への体罰が積極的にされるようになったのは、明治時代以降からだと言っていた。

時代が戦争に向かい、子供の人権というものを軽んじるようになっていったのだ。

民法第822でも『親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる』とある。

懲戒権とは、明治時代に作られ民法で、子育て全般の手段として理解され、なぐる、蹴る、叩くなどの行為を容認・推奨しているのだ。親・大人による支配的な対応、押しつけ、感情のはけ口として、叩くなどの行為が用いられている。そうした行為は、子供の人権を損害するものだ。

なぐる、蹴る、叩くなど、どのような場合であっても、それを大人に対して行ったら、当然犯罪となる。

ところがこういう暴力行為が、弱い立場にある子どもに対してだけ、今なお使用され続けているのだ。

明治時代に作られた古い法律がいまだ子供に対して使われている。しかも懲戒権というこうした法律があるのは日本だけだという。

あの宇宙とつながったコイケさんも言っていた。現代日本は、不幸人間を蔓延させる生産ラインになってしまっていると。

親から愛されず、親から押し付けられた不幸を抱えて生きている人が多すぎるのだと。

そこで「ありがとう」「愛してる」の魔法の言葉を何度も言うのだ。親から押し付けられた不幸を払うためにも、自愛することの大切さが活きてくるのだ。

自愛をすれば人生は自分のものになり、きっと幸せになる。

そういえば、コイケさんのお子さんはとても幸せそうだ。

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