投稿小説サイトから離れていってから

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自分流を磨くなら、投稿小説サイトから離れるのも手

一時期はよく投稿小説サイトを利用していたけれど、そこで親しくなった人は仕事が忙しくなったりしてどんどん離れていってしまい、交流が持てなくなった。

それに、プロの道が開けた人もいて、そういう人も忙しくなってオンラインであまり活動しなくなった。本当に執筆に集中したい場合、ネットから徐々に離れていく人は多い。

ぼくも投稿小説サイトを利用していても自分の腕は上がらないと感じるようになってきて、オフラインで地道に腕を磨いていこうと思った。

その頃は交流のあった人の多くが大手の文芸賞で結果を出していたし、自分だけが取り残された感じもしていたのだ。

だから、オンラインでアマチュア作家の人たちと交流を図るよりも、もっとオフラインで時間を作って自分のペースで執筆活動に専念しようと思った。焦らず周りに流されず、自分流を磨く。これも大事なこと。

本ももっとプロの人たちのを読もうと思った。アマチュアの作品は大分読んできたから、もっとレベルの高いプロの作品を多く読むことでレベルアップを図ろうと思ったのだ。

電撃小説大賞でも一次通過ができるようになったていたし、次のステップに進むべきだと思ったのだ。

結果を出している人は、オフラインでも執筆活動が充実している

オンラインの小説投稿サイトだと、どうしても作品の見られ方が偏ってしまうというのもあった(やはり利用している年齢層はどこも若い人が多かったからだ)。流行に合わせようと指摘してくる場合がある。

見られ方が偏っていると自分の良さが失われかねない。そういうのでやりとりに辟易することも多々あった。新人作家に求められているのは、流行に乗るのではなくオリジナリティなのだ。オリジナリティがちゃんとあってデビューすると新しい流行がそこから生まれる。

投稿小説サイトを離れてからの活動

ぼくも専門学校を卒業して仕事を始めていたのでなかなか小説投稿サイトを利用する時間が取れないというのもあった。他の人の作品を読んで批評・感想をつけていくという行為もあまりできなくなっていた。仕事でのパワハラやうつ病の悪化、正社員を辞めてなかなか次の仕事が見つからないなど精神的に余裕がなくなっていた。

当然ほかの人の作品を読むことができなければ、自分の作品を投稿しても感想・批評はほとんどつかない。それだと投稿しても虚しい思いをするだけで意味がない。

また、正社員を辞めて無職の期間、童話・児童文学系の出版社に連絡してみて、投稿可能のところに送ってみたりもした。

文芸賞を受賞することだけがデビューへの道ではないということも知っていたので、地道に出版社へアプローチしてみようと思ったのだ。

結果どこも不採用だったけれども。それでも、自分の作品に自信というものはあった。出版社からほんの少しコメントがつけられて返信があったりもした。『良い作品ではあるけども、うんたらかんたら』。つまり全然悪いわけではないのだ。

出版社に無暗に投稿していても上手くなるわけでもないし、採用されそうな感じもしなかったし、文芸賞でもまったく結果が出なかったので、何か別の策を取ろうと考えた。執筆活動が充実するような活動。リアルで何か一般読者を得るような活動をしたいという思いもあったから、文学フリマというものに参加してみることにした。

オンラインとは違う交流が作れるかな、と思ったのだ。その頃は派遣ではあったけれど安定して働ける仕事もしていて、貯金もそこそこ戻りつつあった頃だった。もちろん、それでも経済的にはひっ迫していたし、親に追いつめられることを何度も言われていて、精神的に余裕があったわけではなかったけれど。何か創作関係で新しいことを始めたら道が開けるのではないかと希望を抱いたのだ。

オンラインで人気のある作家というのは一般の読者がしっかりついている。

文芸賞で選考通過の常連ならばデビューできなくても名前が有名になっていたりもする。アルファポリスなどを利用するようになって改めて一般の読者がついている大切さを感じたし、市川拓司などもやはり一般読者から大きく支持を受けたからプロデビューできたのだ。

投稿小説サイトを利用していても一般の読者というものはつかない。そもそも投稿小説サイトを利用している人たちの中には一般の読者に読まれることを何故か否定的に捉えている人もいた。一般の読者に読まれたければ、個人のHPなどでやればいい、という発言を何度か見かけたこともあった。

投稿小説サイトはあくまで腕を磨くための切磋琢磨する場・創作する者同士の交流の場(と言っても、大体常連が多いし、コミュニケーションに長けた人だけが交流しているというイメージ)なので一般の読者に向けての場ではまったくないのだった。利用すればするほど狭い世界・偏った考え、規模の狭い活動でしかないと強く感じてしまったのだ。

考え方が変わったのが、他の創作交流サイトで、選考通過を何度もしていたり、受賞経験者のある人たちと交流するようになってからだ。そういう人たちは考え方が柔らかかったし、創作のスタイルが全く違っていた。切磋琢磨ではなく、書くことを楽しんでいたし、読まれることも楽しんでいた。悪いところを無理に見つけて批評・指摘するのではなく、良い部分に目をつけて、創作意欲を互いに高めようというやりとりだった。

また、そういう人たちが本当に大事にしていたのは、オンラインでのやりとりではなく、オフラインでの身近な人に読んでもらっての感想だった。子供がいる人は子供だったり、妻や夫、彼氏彼女がいる人はそういうパートナーに(デビュー後のインタビューでよく聞くことだ)。

一般読者の視点としての感想だけに重みが違くって、作品に大きく活かされるというのだ。

作品にも自由さ・寛容さ・楽しさがにじみ出ていた。上手さばかりを求めるのではなく、読者を楽しませようという意識の方が高かったからだ(うまさは、そういう意識で書いているから勝手についてきていたのだろう)。それでみんな文芸賞でもたくさん結果を出していた。良い読み手がいれば良い作品が生まれる、というのはよく言われること。

ぼくも投稿してきた出版社からよく言われてきた(文芸賞の評価シートにも書かれてあった)。ぼくに一番足りないのは、読み手が不在であることだ、と。

ぼくの場合は特に他の人とは小説家を目指すきっかけが違っていた。

小説家になれればうつ病でも人生が変わり、異性と付き合えるようにもなって、人生が充実すると思っていたので、読み手が不在で小説家になれないというのは本当にショックだった。付き合っている相手がいてこそ、良い読み手となってくれて、良い小説家になれるのだ、と言われている気がしたのだ。求めている順序が逆なのだ。

※ 引き寄せの法則を知った今だから思うけれど、恋愛の引き寄せを成功させたい・理想のパートナーを引き寄せたいと思うことはやはり大事なことだと思う。人生を充実させるためにも本当に大事。だから、理想の恋愛の引き寄せを叶えたいと願うことは男女関係なく、大切なこと(何故か恋愛の引き寄せ本は女性に向けてのものが多いけど)。

まとめ

切磋琢磨しうまくなるのもそこそこ大事なのだけれど、それ以上にきちんと一定の読者がつくようになってこそ作家としての価値があるのだと改めて感じたのだった。

小説投稿サイトを利用して腕が磨かれたのは確かだし、読む力もついたけれど、

小説投稿サイトを利用するなら、うまさを求めるだけでなく読者を喜ばせること、楽しんでもらいたいと思う気持ちを大切にする、そこも念頭に置いておいた方がいい。

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