作風の変化と、小説投稿サイトの利用

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大学を辞める前に、自分の作風の転機となったきっかけがあった。

それがうつ病の経緯でも書いた、新河岸での一人暮らしの時の『死』から『生』への気持ちの変化だった。それまでは弱い心の自分を責め続けてきたけれど、自分を許すという感情が初めて芽生えたのだった。

自分がうつ病であることを知り、クリニックに通うようになった。

その時に簡単な自分史みたいなものも書いてみた。クリニックに行く際、それまでの自分の症状を口に出して説明するのが難しかったから(とにかく口下手だから)、文章にして読んでもらえば、ちゃんと分かってもらえるのではないかと思ったのだ。

小説を書くようになって、そして『死』から『生』への気持ちの変化が起こってから『自分の気持ちを素直に表そう』という気持ちが芽生え、自分のことが書けた。

※ 実はここでもう一つの大きなきっかけがあった。それは地元の神社にお参りしておみくじを引いた時に『大吉』で、そこに書かれてあったことが『自分の気持ちを素直に表すと良い』だったのだ。だから、自分史を書こうという気になった。

簡単な自分史みたいなものを持って保健所などに行き、メンタルクリニックの先生にも読んでもらい、気持ちを分かってもらえた。また、大学にもカウンセラーがいて、その人にも色々と相談できて、家族にもうつ病であることを分かってもらえた(家族にはぼくが抱えていた問題は深くは分かってもらえなかったけれど。特に父親は、「うつ病なんて風邪みたいなもんだから、薬を飲んどけば治る」みたいな軽い認識で捉えられてしまった。病気になることは許さない、みたいな考えを持っている冷たい人間だった。病気になると自分の思い通りにしたい子供にならない、そういう考えを持っていた。とにかく相手のことを思いやらない、自分の考えが中心・家族を支配したがりの父親だった)。

さて、自分の作風が変化して、『死』から『生』へ気持ちが変化するような作品を書くようになった。対人恐怖症で自殺願望のある主人公が、人と接することで徐々に自分に自信をつけていって、自分の心のすさまじい強さに気づく、というストーリー。とか、周りより劣っているとずっと思っていた主人公が、気持ちと環境をどんどん沈ませていきながらも、夢を信じることだけは忘れずに、そして周りとは違うことをして、自分の良さ・才能に目覚めていって、新しい自分を見つけるというストーリー。

小さな文芸賞で少しずつ結果が見え始めたのも、そういうストーリーが書けてからだった。

また、この頃は『天国の本屋』(著:松久淳+田中渉)や『いま、会いにゆきます』(著:市川拓司)などの作品も話題になっていて、そういう作品も買って読むようになっていた。

ぼくには恋愛経験がまったくないので、恋愛小説は自分で書くことはなかなかできなかったけれど(でも恋愛をテーマに入れた童話風作品などは書くことができた)、あまり難しくない文体の作品に出会うことによって、勇気が湧いたし、自分の作風にも盛り込めないかと思ったのだ。

それに、文芸賞を受賞していなくても小説家になれる道があると知ったのは大きかった。しかもこれらの作品はベストセラーとなっていた。

ただ、ぼくの中で気持ちの転機は起きたものの、執筆活動では大きな賞で結果を出すことは全くできなかった。まして童話賞ではそれこそまったく一次すら通らなかった。

小説投稿サイトの利用

専門学校に入る前の年くらいから家でもインターネットができるよう契約をして、小説投稿サイトを利用するようになった。長野で働いていた職場で、小説家を目指しているならネットをした方がいいと勧められたのだ。

今はもうないが、『トータルクリエイターズ(略してTC)』というサイトを主に利用していた。当時一番活気のあった小説投稿サイトだった。『作家でごはん』などのサイトも盛況していたが。

ここで初めて、他の人から的確な感想というか作品に対する良い部分や悪い部分の指摘を受けられるようになった。自分の執筆力がどの程度のレベルなのか知れるようにもなった。

童話を主に投稿するのだけれど、こういうサイトの悪い点(というか匿名の様々な年代が利用するインターネットそのものの悪い点)は、ただ気に入らないという理由だけで酷評するとか、悪口を書く輩も結構いたことだった。ネットを使うのも初めての頃だったので最初はかなり戸惑ったし、大きくショックを受けたりもした。

恐怖症のため、投稿する行為そのものに恐怖心を覚えて震えながらだった。それでも積極的に利用していった(今思い返すと、人生で一番人とコミュニケーションをはかっていた時期だったようにも思う)。

ぼくも他の人の作品を積極的に読んでいってなるべく的確な指摘になるよう(そういう的確な目線が自分の執筆の役にも立つので)感想をつけていくのだが、それに対しての逆恨みみたいな感想を返されたこともあった。

まあ、実際文芸賞などで全然結果が出せていなかったこともあって、自分の作品は下手なのだろうと納得もして反論はできなかったけれど。

それに議論とかそういうのが苦手だったので(面倒くさかったので)、なるべく簡潔にやりとりを済ませたかったというのもあった(うつ病の症状で人とのやりとりをなるべく避けたいという思いもあった)。

あと、積極的に色々な人の投稿作品を読んでいたのは、そうしないと自分の作品を読んでもらえない、ということもあったからだ。感想をつけると感想返しをされる、(今の投稿サイトは知らないけど)当時の小説投稿サイトとはそういうものだった。読み専門の人が訪問するということはほぼなかった。ただ、中には、プロの批評家のようにすごく丁寧で細かく、的確なアドバイスをしてくれる人もいたはいたけれど。

それに、投稿してくる他者の作品の中にも、読んでみてこれはすごいと感覚的に思う作品もたまにあって、これでアマチュアなのかと驚いたことも何回かあった。小説の巧いテクニックというものは具体的には分からなかったけれど、感覚的にすごいテクニックを持っている、というのは分かったのだ。

で、そういう巧いと思った人は、やっぱりのちに大手の文芸賞で選考通過したり、実際受賞したなんていう人もいた。その後プロになったという人も数人いたけれど、受賞してもプロになれなかったという人もいた。新人賞で選ばれて出版できたからといって、二冊目三冊目と続けていけなければプロとして認められないし、まして売れないとプロとしてやっていけないのだ。だから、プロデビューしても、その二・三年後に、まったく音沙汰なくなるという人も結構いた(創作を辞めてネット上から完全にいなくなってしまった)。

初めての大手文芸賞での一次通過

ぼくの話に戻るのだけれど、小説投稿サイトを利用して人の作品を読んだり自分の作品を投稿したりして腕を磨いていって、たまにすごい好評を得た作品があったりした。

それを大手の文芸賞に出してみたところ(毎年応募数がすごい多いことで有名な電撃小説大賞なのだが)、初めて一次通過して、自分のペンネームと作品名が雑誌やHPに載ったのだった(その年の一次通過は2000近くの応募数の中の150作品くらいだったと思う)。それが専門学校を卒業して正社員一年目として働いていた夏のこと。

※ その頃は早乙女史起というペンネームを使っていた。

小説投稿サイトで知り合った他の人がどんどん結果を出していっているのにも刺激されて、自分もという気持ちになっていたので、結果が出て本当に嬉しかった。

※ ちなみに、小説投稿サイトで知って、今でも活躍しているプロ作家さんは、ライトノベル作家の杉井光さんやミステリ作家の下村敦史さんなどがいる。下村さんは特にTCの常連でよくハンドルネームを見かけていたし、アマチュア時代の作品も数点読んだことがある。今では本当にすごいミステリ作家になってしまった。すごい!

一次通過しただけで終わってしまったけれど、『死ぬために書こう』が小説を書くきっかけだったぼくが、気持ちが変化していって、ついに大手の文芸賞で選考通過して名前が載る日が来るなんて! 下手すぎたあの当時では考えられない成長だった。

ちなみに、『歩道橋銀河通信』という短編作品だった。ヤングアダルト(YA)を意識したファンタジー作品だった。森絵都さんなどに影響を受けたのだった。

また、この時期だったか、アルファポリスというネット小説(HPも)を登録できる出版社があったのだけれど(人気のある作品は商業出版化されたりもする。市川拓司がここからデビューしたことで有名。ちなみに、今現在も大分リニューアルされた形で存続している)、そこでぼくの童話作品が『今回(今月だったかな)のピックアップ作品』に選ばれたこともあった。

その作品が『月の花』。今現在、Amazonのkindleストアで販売している作品月の花と水の花はその『月の花』を改稿した作品。

恋愛がテーマの童話風作品。

 著:早乙女純章

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