小説を書くようになったきっかけ その2

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でも、童話から入ったぼくが一番最初に手書きで書いた作品は、原稿用紙200枚くらいのファンタジー冒険ものだった。ジブリの天空の城ラピュタからSF要素を抜いたような作品。まあ、一番書きやすい内容のアクションファンタジー小説だったともいえる。

浪人生だったけれど、受験勉強をせずに、せっせと原稿に鉛筆で書いていた。

とにかくどんなに陳腐でも稚拙でも文章・ストーリーが書けるようにならなくてはと思った。

オリジナリティなんて全然なくて、構成面でもテクニックなんて一切ないひどい内容ではあったけれど、一つの作品を完成させられた時はほっとしたというか、自分にもできるんだと思えた。

その頃は精神がかなり不安定だったので(強迫観念にもかられていたので)、『自分にはできない』『自分はしてはいけない』というネガティブな思いに襲われることが度々あった。行動を起こすことへの抑圧というか、何か新しいことをしようとするとネガティブな思いに襲われて、自分で自分を脅迫するような恐怖心に襲われて、気分が億劫になり、寝込むということがよくあった。

そういう『自分にはできない』『自分はそういうことをしてはいけない』という気持ちと闘いながらの執筆活動だった。高校の三年間でそういうネガティブなイメージを自分に強く植え付けてしまったのだ。

とにかく短くてもどんどん作品を書いて完成させる。そういうことをして、『自分は小説が書ける』『自分は小説を書いてもいい』という気持ちを作っていった。

でも、やっぱり大学に入学すると、周りの人たちに比べて自分の文章力は下手すぎたし、小説も宮沢賢治以外は全然読んでいなかったので、大きな引け目を感じて、周りとのコミュニケーションを避けていった。死ぬことばかりを考えていて、自覚はなかったがうつ病でもあったので、コミュニケーションも取れない、とにかく無口で暗かったので、周りもぼくのことを避けるようになっていた。

大学の図書館では、宮沢賢治のほかに、新美南吉や小川未明の童話にも触れるようになった。特に『ごんぎつね』や『てぶくろを買いに』で有名な新美南吉は、宮沢賢治の次に好きな作家になった。もともと『ごんぎつね』はすごく好きな作品だったけれど。大人になって読むと、改めて深い作品だな、と。童話というジャンルでなかったら、直木賞をとっていてもおかしくない、そんな巧さと深みのある作品だと思っている。

大学在学中は、学校に通うよりも自宅で執筆活動をしていた方が有意義だったというくらい。うつ病もあって段々通えなくなった、というのは別の記事に書いた通り。

あと、二十歳の頃にバイトをしたお金でワープロ専用機・CASIOのダーウィンを買い(もうパソコンも一般家庭に普及していたけれど、まだまだ高かったし、持ち運びができるワープロにした)、それで大分執筆が楽になった。

文芸賞にも大学在学中から結構出すようになっていたけれど、まったく結果が出なかった。自分の稚拙な文章力なら当然ではあったのだが。

電撃文庫の小説賞や色々な童話賞に応募していった。けれど童話賞はどれも応募数が多くて通過が難しかった。長編も文章力がない上にテクニックもないからダメな上になかなか書く気力がなかった。

童話賞や短編賞など、どこに出しても落選続きだった。身近に読んでくれる人もまったくいないから、文章力もなかなか上がらなかったし、自信も持てなかった。執筆活動をしていて楽しいという思いを抱いたことも一度もなかった。

それでも書き続けていられたのは、「書かなければ」という使命感みたいな気持ちがあったから。あとは、完成させられた時の達成感を味わえること。

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