ブラック上司と、パワハラの日々。うつ病の悪化により会社を退職。

スポンサーリンク
横長広告

正社員として入ったはずなのに、『派遣』という扱い。じわじわとパワハラの日々。

常駐出向といっても、完全に派遣社員という扱いのため、配属先の会社では何かすごく気を遣う。気まずさがある。相手側も気を遣って接してきてくれる。特別な扱いをされているというか、微妙な感覚がある。中小企業なだけ余計そういう空気が漂っている。

しかも、本社から出向されたのはぼく一人だけだった。本社からのサポートもほとんどない状態だった。

出向先(正確には派遣先)の会社で、ぼくに指示を出してくれる上司のような立場の人がいたのだけれど、とにかく悪態をよく吐く人だった。

誰かに対してでなく、CADソフトに対して苛立っていることがほとんどなのだけれど、ある特定の人に言っている場合もある。

大手メーカーに出向しているその人自身の部下に対してだ。

その人が手掛けたデータの、ちょっとのミスに対して、とにかく露骨に悪態を吐く。本人の聞こえないところだから別に素直に気持ちをぶちまけてるのはいいのかもしれないけれど、隣でぼくが聞いている。しかも、怒りをこっちにも振ってくる。どう返したらいいのか分からない。

そういうのを見せられて、そのくせ、本人が出向から一時的に戻って来ると、すごく穏やかそうに振舞う。

同じような失敗してるぼくに対しても、帰宅していなくなった後とか思いっきり社内で、他の社員と一緒に悪態吐いている光景が目に浮かんだ。「あいつはどうせ派遣社員なんだから」とか。実際にその言葉を耳にすることもあった。とにかく悪態・悪口をかなり吐く会社だった。

派遣先のその上司の人は、とにかくいい加減な性格で、かなり翻弄された。自分のミスをぼくになすりつけてくることも一度や二度ではなかった(上司として一番いけないやつ)。自身の武勇伝もよく語ってくるし。まさに迷惑上司の典型的な人だった。まさに非エッセンシャル思考の人だった。

また、その出向先の職場で、やはりトイレの問題に悩まされた。緊張から毎日腹痛に苛まれ、けれど、職場のトイレは総務の机があるすぐそば。マンション・アパートのような室内なので音が漏れてしまうし、男女兼用ということもあって長いこと入っていることができない。お腹の弱いぼくにとっては本当に最悪の環境だった。

だから、毎日、昼休み、わざわざ駅前にあるデパートのトイレに行っていたのだ。歩いて片道十分使っていた。トイレだけで時間が過ぎて昼ご飯が食べれない時もあった。


 腸内環境を改善してくれる効果が見込めます。

そういう会社生活を送っていたので、技術を身に着けるどころではなかった。専門学校で学んだことは、ほぼ役に立たなかったし、そもそも苦手とする理系の仕事についてしまったこともある。失敗ばかりして、何度も叱責され、心が疲弊していった。

ぼくの耳に届くように、わざとぼくを非難する言葉を言っていることも一度や二度ではなかった。「あいつがいるから失敗するんだ」とか「あいつがいるからまたミスが起こるんだろ」とか。部長まで言っていたくらいだ。今考えると、まさにパワハラだ。

単独での出向という状態も辛さに拍車をかけた。話し相手が本当にいないのだ。相談できる相手というのが全くいない。

本社の所属部での飲み会というものがあり、一度参加したのだけれど、自分以外、同じ出向場所で勤務している人ばかり。結局話していることは、内輪話でついていけない。頷くことさえできない。一人で出向先に常駐するというのは、本社との接点が皆無になるため、本当に損なことばかりだった。

また、アパートに帰れば、騒音問題に悩まされていた。私生活でも神経をすり減らしていった。

良くなってきていたはずのうつ病もまた大きく悪化してしまった。生きていることを後悔した日々もたくさんあった。自分はダメな奴だ。何をしてもダメな結果になる。自己否定の毎日。体重もかなり減った。もともと50kgいっていなかったけれど、その頃は45kgをどうにか保っている感じだった。きちんと毎日三食食べているのに、減っていく一方だった。

辞めたい辞めたい、そればかりを考えるようになって職場に通っていた。職場にいる間は、早く帰る時間にならないか、と切に願ってばかりいた。

神経を大きくすり減らして、六月、ついに辞めることを決断。勇気を出して本社の部長に辞める旨を連絡した。その後休職期間を経て、八月に本社を退職。

 一年四ヶ月でやめたものの、一年以上続けて働けたのは初めてで、派遣先でのパワハラやトイレの件のことを思い出しても、本当によく頑張ったと思う。

正社員をうつ病悪化で辞める前、傷病手当をもらいながら聖蹟桜ヶ丘(騒音問題のこともあって西調布から引っ越していた)でアパート暮らしをしていたけれど、どうしても狭い部屋だと追い詰められた気持ちに苛まれてしまい、収入の不安もあり、その年の九月、建て直したばかりの父の実家(現住所)に移り住んだ。

しかし、その後も次の職場がなかなか決まらない(リーマンショックの時期と重なってしまったのだ)。環境は改善したものの独りという現実も相変わらず。『死』という気持ちから離れられない状況が続いた。

※ 会社を辞めた後に、同期入社の一人(彼も入社から二年で辞めた)と友人関係になれたのは良かったことだ。彼はその後、文学フリマなどの、ぼくが一時期立ちあげた小説サークルの手伝いをしてくれた。

※ それに、入社一年目の夏に、電撃小説大賞に送っていた作品で一次通過というものを経験した。文芸賞で選考通過して名前が載ったのは初めてのことだった。

戻る次へ

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする