うつ病から、ついに正社員としてのスタート

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専門学校も無事卒業できたし、うつ病も少しずつ快方に向かってきたかなと思っていた。

会社が始まる前に西調布にアパートを借りて、新生活への準備を整えていった。
東京23区内から東京23区外へ引越し。引越しして一番の楽しみだったのは、テレビがきちんと映ることだった。今までの家では二局(TBSとフジ)以外どれも映りは悪く、音も出ないことがあったからだ(この頃はまだアナログ放送の時代)。その他、自炊するための生活用品も集めていった。

四月一日の日曜日には、神奈川の実家に帰り、家族でボーリングをしたりもした。ぼくが正社員として働くことが決まったことで、少しずつ家族とも和解していったような気がしていた。

でも、相変わらず弟との仲は良くなかった。というよりも、この頃の弟はすでに統合失調症になっていた。弟は弟で専門学校を中退していて、その後仕事でもうまくいかず、完全に引きこもりの生活を送っていた。自室でも暴れるようになっていたという。

さて、二十代半ばの新社会人としてスタートした自分。四月の新宿行きの通勤電車の混雑度に、初日からすでにうんざりしてしまった。

入社式の後は、社外研修でビジネスマナーセミナーを受けることに。

他の会社の新入社員さんと合同で、まったくの初対面ながら、積極的に意見を交し合った。
まずはマナー講師の講義を受け、社会人としての意識のあり方や、仕事の進め方。また名刺交換や電話応対など、実際に周りの方々とやってみたりした。

その中でも、ぼくは電話応対が一番できなかった。練習でも戸惑ってしまうのだ。昔から電話というものが苦手、というより恐怖心を抱いてしまうのだ。

けれど、全く初対面の別の会社の方々と協同作業で一つの目的を達成していくというゲームでは、どのようにしたら達成できるのか、意見を率先して出す役割になれたことが、大きかった。みんなと協力して事をなす楽しさを感じることができた。

初対面ながら笑い合ったりしながら物事に取り組んで楽しむ、というのって大切だなぁ、と感じたのだった。

ほぼ一週間、社外研修で、ビジネスマナーの講習を受けていた。

そして講習が終了する際には、全員で全員のメール交換なんかもしていた。自分でもちょっとびっくりだった。たった2日だけ一緒にいた他の会社の新入社員の方々と積極的にメール交換するなんて。周りとはちょっと距離を感じていた専門学校とは大違いだ。

ビジネス研修した時、同じ席になったメンバーの方々から、その人の第一印象とかアドバイスを送ったりしたけど、ぼくの場合は、『見た目がとても冷静そうで、とっつきにくい印象を受ける』とのこと。表情も硬いんだとか。

自分ではにこやかな表情を意識して接していたはずだったんだけど、それでもとっつきにくいって。

そうなのかぁ、と少しショックだった。自分では結構笑顔で振舞うことができていると思っていた。日常生活よりも笑顔を意識していたのだ。

でも、緊張で小刻みに震えていたり、不安でいっぱいな中でも、笑顔を意識して人と接せられたのは大きな前進だった。

四月の最終週には、出張という形で、新入社員全員でバンダイ静岡工場を見学しにいった。

建物に入るとすぐに、年代別に発売されたプラモのショーケースが見れたり。それから、静岡工場ではどういったことが行われているのかを説明受けた。企画・開発から設計(&パッケージデザイン)・金型・生産とお客さんからの相談業務などワンフロアで全てが行われていて、各部署間で情報交換が素早く行えるので、非常にスムーズに業務が進められるとのこと。

光造形の仕組みとかも教えてもらったり。成形機の現場を見せてもらえたり。レーザー加工で作ったとてつもなくちっこい(目で見えないほどの)モデルを見せてもらえたり。

バンダイの歴史なんかも分かるフロアも見せてもらった。企画されて光造形に出しても、商品化まで至れなかったプラモデルも展示されていたりした。

バンダイ業務は新製品の周期が車の製造などとは違って短く、大変だと聞いたけれど、すごくやってみたい、とモチベーションが上がったりした。

 そして、社内研修が六月まであり、ついに配属先が決まった。

玩具の仕事をしたいと思って入ったのに、まったく違う会社への配属だった。

なんだかすごく騙された思いがした。玩具関係ができると聞いていたから入社したのだ。

配属先は新宿とは反対の八王子駅にある中小企業。新宿行きに比べて満員電車の混雑度はそれほどでもなく電車通勤はいくらか楽になったものの、再び精神が追いつめられる生活が始まることとなったのだ。

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