最後の神奈川でのアルバイト

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二月。学校もテストが済んで長い冬休みに入ったので、また一旦神奈川の家へと戻って、休みの間お金を稼ぐために、短期のアルバイトをして、何とか一人暮しをしようと思った。

東京の家でも、神奈川の家でも、自分の居場所がどこにもなかった。神奈川の家に戻っても母親には嫌な顔をされ、もう、食事は出してくれないと言う。

良かったことは、アルバイトがすぐに決まったということだ。機械系の工場でのバイト。面接に行ったその日に決まってしまった。

うつ病で心身ともに疲弊していた中、苦しい体でも、必死にバイトをした。

二月と三月。二カ月間。ほんの二カ月間と思うかも知れないが、ぼくにとっては相当過酷だった。真冬の早朝の寒さもそうだったが、仕事中、立っていることさえやっと(8時間立ち仕事)。

終わりの時間に近づく頃には、疲労で体ががくがく震えてくる(うつ病の症状もあってかなり疲れやすくなっていたのだ)。家ではご飯も出してくれないので、どこかで食べていくしかなかった。

吉野家やイトーヨーカドーのレストラン・フードコートなどで食べた思い出がある。

※イトーヨーカドーに立ち寄ることが数少ない楽しみだった。和菓子などをよく買った。レジのお姉さんの笑顔に癒されていた思い出もある。

苦しくて、でも、あの家族から抜け出して、一人暮しができるのかと思うと、自分の体に精一杯鞭打って、必死に頑張った。仕事で失敗も何度もしてしまい注意を受けた。

そのバイトをしている間も、弟とのいざこざが絶えない。こっちはこの家から離れるために一生懸命我慢してやってきているのに、その途中で、「早く向こうの家に戻りなよ」とか、弟に対する苛立ちを、「どうして我慢できないの」と母に言われる。

「あんたなんて、大して苦しんでもないでしょ!」と言われたこともあった。

 それを言われた時、悔しくて悔しくて全然涙が全然止まらなく、体全体に痺れが走り、手足を動かすのが苦しくなる程痺れ泣き続けた。

死にたい、こんな家族から離れて、誰にも知られずに、自然の中で死んでしまいたい。そう思ったが、必死に我慢して、小説家になる道を諦めずに、小説を出すことを諦めずに、必死に我慢して過ごした。執筆活動をしていたことで精神を保つことができた。

そしてバイトも終わり、三十万円近く貯めることできた。これでようやく一人暮しができる、そう思って。

こうしてこの神奈川から離れ、大学二年目という新たな学期を迎えた。

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