浪人時代 家族との確執

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高校を卒業して、ようやく解放された気分になった。

現役合格はできなかったけれど、これで、やっと心を安らげられる、と。

どうして大学に落ちたのか、色々考えてみた。学力的に思えば全く無理だったわけではなかった。落ち着けば、大したことのない問題だったからだ。落ち着いていれば、もっとできたはずだった。

だから、あの大学に受かるには今のこの心の不安を取らなければならない。前のように不安一杯の受け方では絶対に駄目だ。そして今年は学校も卒業した。それがまず心を安心させられる第一の良薬だ。

そう、一つの大きな不安は解消されたのだ。あと残っている不安にさせる材料は何か。

家族の存在だった。余計な不安を感じたり、苛立たされたりもした。家でやってきた受験勉強だって、この心の状態だったから、家族の対応にも、我慢しよう、気にしないようにしようとしたって、ままならなくなったりもした。

去年は我慢して、あとで一人苦しむことが多かった。たとえ口で言ったところで、家族全員で非難してくるだけだ。

だから、今度は完全に疎遠になることにした。この心が不安・恐怖を感じてしまうようなことからは、今度は一切考えないようにし、すぐに逃れることにした。向こうは対して何も考えてくれないのだから、自分から逃げるしかなかった。

四月から、また同じ予備校に通う日々が始まった。そして、模試を受けて、今の自分の学力がどれくらい高い位置にあるのかも知った。

追い込みの勉強もしていたこともあって、その偏差値は、二つ合わせて六十以上あった。国語は、確か六十五辺りだ。自分の力はこんなにも上がっていたのかと驚いた。これなら、今年日芸も受かるかもしれないと思えた。

やっぱり緊張していたのがいけないんだ。緊張さえせずに、心落ち着けて望めば、入れるかもしれない。

しかし、結局手の震えの悩みはつきない。予備校で人と接していると、結局不安を感じる。今年は心を休めるために浪人したのに、これでは去年と結果が変わらないかもしれない。

この心を休め、癒すためもあって浪人したんだから、あとは心を安心させることに専念すれば、きっと受かる。どうして自分が落ちたのか、はっきりと分かっていたから、予備校はやめた。

自分の心をもう少し考えて、なるべく逃げる時は逃げるようにしないといけない。またあの頃の苦しみを味わうのかと思うと、恐かった。もう高校で、全てがうんざりしていた。

こうして、思い出深い予備校とも、後味の悪い形で離れることとなった。

予備校を辞めたことは、母は了解してくれ、父には一切伝えなかった。

父は日芸(芸大)に入ることが不服で、自分の望む大学に入ってほしいと口にしてきた。中学受験の時もそうだったが、家族を自分の思い通りにしたいと思っている人だった。


何かを食べるということにも意識が薄れていった。

死にたいと思っているから、食べ物を口にし、体の中に入れることに、嫌悪感を感じる時もあった。
それでもお腹が空く。あまり食べていない上に、昼、夜のどちらか一食でも取らなかったら、空腹で体が震えてくる。だから口に入れる。腸の調子が悪いので、消化が悪い。腸がよく働いていないのが分かる。お腹の中に食べ物が入っているのかと思うと、違和感を覚える。ますます口に入れるのが嫌になってくる。

そういうのがずっと続いた。口にする量も少なくなって、体も疲れやすくなる。

でも、治したいなんて思わなかった。死にたいと思っているんだから、治したって仕方ない。このまま体の調子が全て悪くなって、病気になって死ねたらどんなに幸せだろう。そう思った。


家族との確執

予備校も辞め、勉強もほとんどせず、心休めることに専念するのだが、大学進学への意識もだんだん薄れてきて、専門学校への道も本格的に考えるようになった。

しかし、今までの心の傷のためか、思い出したくもないことが頭の中を襲ってくる。また高校の頃のあの症状が再発してくるのではないかと、不安になる。もう今までの記憶全て消したかった。もう何にも思い出したくなかった。

高校の頃から、弟との仲も険悪だった。弟は小さい頃から、両親に大切にされてきた。何をするにも弟は自由。ぼくは親がこうしろああしろ(中学受験とか、習い事とか)をさせられた。

弟は発達障害のようなものがあり、勉強とかあまりものを覚えられなかった。

中学受験の頃は父と母の仲が険悪で、毎日離婚するしないの言い争いになっていた。父は母の首を絞めたこともある。父からは「お母さんを見返すために中学受験、合格しろよ」と言われたこともある。そもそも中学受験自体、父が望んだものだった。

弟の話に戻る。当時(幼い頃)の弟は自分勝手で、口も悪く、とにかく自己中心的だった。
高校でも嫌という程、似たような感じの人々を目にしてきた。必死に通い続けた高校をようやく卒業できたというのに、せっかくこの心を休めて、ゆっくり休め、今度こそしっかりと大学入試を受けれると思ったのに、家にいてさえもなお苛立たされる。不快感に苛まれる。

 もう目にしたくなかった。

弟なんていなければいい。そして、受験に落ちてから、その姿を目に入れることを一切しなくなった。見ただけで不快感を感じるのだから、弟なんていないんだと考えるようになった。過去の記憶と共に、弟の存在も頭の中から消した。

けれど、八月。その弟も高校が休みのため、その存在を感じなければならない。

そして、目の前にも現われる。

もう我慢なんてできなかった。丸めた新聞で叩いて、その姿を目の前から退かした。

どれだけ楽になっただろう。今までずっと我慢してきたことだ。今まで自分から逃げなければいけないと思ってきたことだ。どんなに疲れて、心を休めたいと思っていても、自分の嫌いなことが始まりそうになると、すぐに自分の部屋へ戻らなくてはならなかった。しかし、それを自分の手で退かせたのだ。この心を考えての、やむを得ない行動だった。本当は、もう一切関与したくなかったのに。その存在なんて考えたくもなかったのに。そこにいるとしても、全く無視したかったのに。

それからというもの、食事の時間も別々にし、その姿を一切見ないようにした。それでも前に現われてしまった時は、苛々が我慢できなくなったこともあって衝突した。

そんなことが三回ぐらいあっただろうか。

自分の心のことを考えて、この心の苦しみを必死に現わして、やむを得ずやったことなのに、両親には共に、

「お前なんて出ていけよ」「お前のやっていることは、いじめだよ」
「お前にはがっかりだよ。高校だって、あんな学校に入りやがって」
「お前がそんなに嫌な奴だったとは思わなかった」
「お前なんて、もう信じないから」

あの時、言われた時は本当に苦しかった。悔しかった。悔しくて、苦しくて、涙が溢れ出てきた。泣いてはいけない、泣いてるところなんて見せたくない、必死に抑えようとしても、でもやっぱり涙が零れ出てくる。今まで自分が必死に我慢して過ごしてきたことを思い出してしまって。

やっぱり、この家族の中では、この心は絶対に理解してもらえない。ずっとそうだった。何かすると、必ず蔑まされて返されてきた。理解しようとする気なんて一切なく、ただ、迷惑そうに見つめるだけだった。いつもそうだった。いつも、蔑まされてきた。向こうは一見心配していそうな素振りを見せていながら、結局蔑んだ言葉を投げかけてきた。

 死にたい、もう死んでしまいたい。今まで、何度死にたい死にたいと思ってきたか分からない。自分に絶望して、それでも微かな希望を持ってこれまでやってきた。

言われた通り、この家から出ていってしまいたい。もう小説家になることも諦めて、死んでしまいたい。そう思った。あそこまで言われて、生きていたくなんてなかった、小説家になることさえも諦めて、蒸発して死にたかった。

でも、まだ死んじゃいけないと思って、小説を残すという夢を失いたくなかったので、必死に我慢した。我慢して、自分の部屋で必死に声を上げずに泣き続けた。

本当に嫌なのに、必死に必死にこの心の苦しみを現わそうとしても、結局返されるのは、蔑まされた、罵声だけ。

誰も頼りにできない。誰も信じられない。ずっとずっと一人で抱え込んできた。家族は信じられない。

自分の部屋にずっといて、空腹も我慢して、苛立ちで手が震えるのも必死に我慢して耐えた。時には、晩御飯を抜くこともあった。それでも、親が心配してくれることはなかった。

この家族の中にいたら、絶対に心が温められることなんてない。この心は、どんどんボロボロにさせられていく。だから、早くこの家から出ていけるようになって、そして、自分の望んでいる生活を少しの間だけして、自分の望んでいる自殺をしたかった。

あの家族は、俺がいなくなったって、大して変わることはない。俺がいなくなったところで大して心配することもないから、一人暮しして、そしてそのあとは遠くに行って、誰にも気づかれない中で、死ねばいいと思ってた。俺がいなくなって、そして死んでいた方があの家族にとっては幸せだろう。だから、誰にも知られずに、誰にも気づかれずに死んでしまっていたかった。死ねば全て関係なくなるんだから、何も考えなくて済むんだから、家族とも全くの無縁になれるんだから。

高校を卒業しても変わらない。死にたい……死にたい……、自分を否定することばかりだった。

※ この頃はまだ心療内科・メンタルクリニックに行くという考えはなかった。近くにそういう病院がなかったということもあるし、うつ病というものをそもそも知らなかった。
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