追い詰められた中の大学受験

スポンサーリンク
横長広告

いよいよ現役での受験に臨むことに。

洋楽を聴くようになったことが、病んでいた心に良い効果を与えてくれた。洋楽は特に意味を気にせず、BGMとして聞くことができるようになり、心には打って付けの清涼剤になった。受験勉強も捗るようになった。

本番まで、国、英、併せて偏差値五十五付近をキープできるようにはなった。でも、やはりあの日芸文芸を合格するには、まだまだ足りない偏差値だった。

でも、やるしかない。これに落ちたら、もう腹を切って自殺するしかない。そこまで覚悟を決めて受験に望んだ。国語さえ上手く力を発揮して百点近く取れれば可能性はあるんだ。そう思っていた。

一番最初に受けた大学は、合格した。

そして次の学校は落ちた。。。

そして、次。これは、もう英語の試験を受けた時から、失敗したなと思った。英語の長文が全然できなかった。そしてその通り駄目だった。

後はもう、残るは日芸だけ。

最初受かった大学の入学願書が届いたが、その提出期限が日芸の試験よりも前だった。もともと入るつもりはなかった学校だったので、勿論入学手続きなどはしなかった。

そして、いよいよ日芸文芸の試験。

当日の朝、喉の違和感を感じて、時々微妙な吐き気を催す。それでも、気持ちを晴れやかな方に向けて、学校へと向かった。

試験が始まる。しかし、前に受けてきた所で、長文を失敗してきたので、それもあって、かなり動揺してしまった。手の平から冷や汗が出る。全然頭の中で整理が働かない。ひどい緊張で、まだ五分程度しか経っていないのに、もう焦ってきてしまった。

今年で合格しなければならない、今年で合格しなければ、死ななければならない。そう自分を追い込んでしまったのもいけなかった。どんどん焦ってきて、整理のつかない頭の中でも、必死に問題を解き続ける。合格ラインと言われる、六、七十点以上なんて届かない。いっても四十点くらいだろう。仕方ないから次の国語に全てを託した。国語で百点近くとれれば、まだ分からない。

しかし、国語も中途半端なまま終わった。英語ができなかったのが響いたのだ。多分良くても六十点くらいしか取れないだろう。

こんなに悔いが残った試験は初めてだった。心の症状がここでも出てきてしまったのだ。悔しかった。手応えがあって思い切りやれたならまだよかったが、全くの不本意、明らかに駄目と分かるもの、後味の悪い試験だった。

そして、合格発表、一次合格者を見に行っても、そこにやはり自分の受験番号はなかった。分かってはいても、それを目にした時、ひどくショックを受けた。

初めは信じられず、すぐに立ち去ることなんてできず、何かの間違いだと思って、何度か目にする。しかし、やはりないものはない。

絶望した。ふらふらとその場を後にした。ふらふらと池袋駅周辺を徘徊し、あぁ、これで自分は死ななくてはいけないのだろうか、包丁か何かで腹を切らなければいけないのだろうかと思った。

頭に残ったのは、悔しい思いばかりだった。自分の思い通りに試験が受けれなかったのだ。この心の弱さ、まだ学校に通っていたこと、それにあの家族の態度もそう。せめて、せめてもう一度、自分の思い通りに、思いっきりやって、そして駄目なら、それなら諦めがつく。まだ死ぬ期限にはなっていないんだからと、考えを改め、浪人することに決めた。

三月には念願の、高校卒業を果たせた。

どれだけ安心したことか。今までの束縛から、ようやく逃れられたのだ。これで、ようやくしばらくの間はゆっくり休むことができると思った。

高校卒業したことによって、更にこの体の症状を受け入れられ、考えなくても済むようになった。

高校生活では、手の震え、発汗、唾を飲み込むことなど、様々な症状に悩まされ、友達も一人もいなかった。

でも、それは自分にとって良かったことだと思う。無理に周りと合わせて、自分をなくすようなことをしなかったのだから。自分の考えを貫き通し、今のこの考えができるようになった。自分の考えと合わないものと一緒にいる程苛々することはない。

一人でいるおかげで、色々なものが見えるようになった。

戻る次へ

スポンサーリンク
レクタングル大
レクタングル大

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする